この1週間の出来事はまぁ暗い話

とても暗い話にしかならないことを先に断っておく。

 

私は今年の2月に妊娠が判明、5/7まで妊婦でした。

しかし19週目に入った5/1、前期破水を起こし、ほとんどの羊水が流出。

その日のうちに緊急入院し、5/8までの8日間入院していた。

5/7に人工中絶手術にて出産し、死産という結果になりました。

 

妊娠を伝えた際に祝ってくれた人達はありがとう。

残念なことにはなったけど、また変わらず接してくれると嬉しい。

ちょっと立ち直るのに時間はかかるけど。

 

簡単な経緯と結果はここまで。

ここからは入院中の情緒と状況を記していこうと思う。

自分の気持ちの整理を兼ねて。

 

暗い話だし、書き方も無茶苦茶だが

詳細を知りたい人は続きをどうぞ(長い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5/1

10時過ぎ 在宅にて勤務中、業務をしている最中に羊水が流出。

流れ続ける羊水の量で緊急事態だと思い、かかりつけの産婦人科へ連絡。

かかりつけで受診したところ、切迫した状況のため提携の大学病院へ。

紹介状を持って大学病院を受診したところ、その日のうちに緊急入院。

一旦、通された分娩室でエコーと内診。

医師からの説明は19週の現在、卵膜内に羊水がほとんど残っておらず、22週までの3週間まで胎児がもたない可能性が高いこと。

またもったとしても障がいを持って生まれてくる可能性が非常に高いこと。

言葉を選んでくれてはいたが、ほぼ絶望的な状況だという事だった。

 

MFICUという病室で入院することになった。

6時間おきの抗生物質の点滴、毎夕食後に抗生剤の内服が手術日まで続いた。

 

5/2

この日までは移動は車椅子、看護師の付き添いがあった。

母体・胎児共になにかしらに感染しないように日々の抗生物質。それにあわせてこの日は膣洗浄と内診も行われた。

腹部の張り感は時折出ては治まってを繰り返していた。

GWの連休があり、産科の医師とどういう日程で手術を行うかという話をした。

産科の医師や看護師は5/5からであれば体制が整っているとのことで一番リスクの低い日程を選択。

手術そのものは5/7の予定に決まり、それまでに陣痛がくれば手術を行うとなった。

 

5/3~5/4

祝日の間は定期の点滴以外は特になく、安静に過ごしていた。

入院してからシャワーの許可が出たのが5/3だった。

5/1に緊急入院時、夫がひとまず必要なものは届けてくれたが、その時はシャワ―系のアメニティなどは持っておらず、5/4の夫と面会の際に追加でいくつか必要なものを持参してもらった。

面会後に浴びたシャワーは点滴の器具が邪魔だったもののそれは大変気持ちよかった。

しかし何もないと色々と考え込んでしまい、涙があふれて仕方がなかった。

幸い、病室は一人だったので咽び泣く分には困らなかった。

 

5/5

手術に向け、処置を開始。

2日かけ子宮口を拡げていく処置。

夜になり、痛み止めの座薬を入れ、30分後に処置室へ。

エコーと内診で子宮口を確認後、子宮口を掴む器具を挿入。

子宮口を器具で掴まれた際に内側からの引っ張られ、圧迫感が強かった。

そのまま拡張用の器具とガーゼを差し込む。

明日に様子を見て、再度拡張を拡げるとのこと。

 

5/6

この日も昨日の処置の続きのため、午前中に痛み止めの座薬後処置室へ。

しかし前の診察が長引き、デイルームという休憩室のような場所で長めに待機していた。

デイルームは新生児を連れた母親も利用できる場所。

自分の状況もあって意図的に見ないようにはしていたのだが、目の前に新生児を連れた母親が現れて、我が子を覗き込むその姿に私は取り乱した。

耐えれなくなり、病室に逃げ帰った。

助産師さんにはあのような場所で待たせて申し訳ないと謝られたがしばらく涙は止まらなかった。

自分には訪れないその姿を眺めれるほど強くはなかった。

誰も悪くはない、と理解はしていた。

我が子にできることは外に出してあげることだけで、生は無い。

わかっているからこそ、しばらく泣いていた。

病室で診察を待っていたが、30分後にシーツを汚すほど出血しストレッチャーで分娩室へ。

そこで診察と拡張の処置の続きを受け、様子見となった。

 

出血のことがあり、夜に再度処置室へ。

診察と追加の処置。

出血が多いとのことで何かあればすぐにナースコールを呼ぶように告げられた。

追加の処置で棒付きキャンディのような器具(バルーンと言っていた)が挿入されこの日は終えた。

 

5/7

中絶手術の当日。

器具の異物感が強く、椅子やベッドサイドに座ることは出来ずにいた。

出血は続いていたが昨日ほどではなかった。

朝の抗生物質の点滴後、手術に向けて水分補給のための点滴が追加された。

11時過ぎに分娩室へ。

無痛分娩を選択したので腰の上部あたりに麻酔用のカテーテルを刺す。

脊髄を狙ってのグサーっと刺される痛みに身体がびくっとする。

すぐに即効性の痛み止めが注入されたので長くは続かなかったが入院中に初めてじっとりとした汗をかいた。

本来であれば陣痛がきてからの無痛の準備だが、今回中絶手術だったため麻酔を優先してもらった。

身体の負担だけでも少しは減るようにという医師からの心遣いからだった。

分娩促進のため、3時間ごとに薬剤を投入する。

内診後に最初の薬剤を投入。

腹部の張りをモニターしながら様子を見る。

点滴をされているのもあり、水分の経口摂取は小水が溜まるので許可はでなかった。

張りは強まっては治まってを一定の間隔で繰り返していた。

 

2回目の投入時、子宮口が柔らかくなり、少し胎児が下がってきているとのことでバルーンを外す。少しいきむようにしたが出てくる気配はなく、再度経過観察。

何もできないでいたため、スマホを眺めたりうとうとしていた。

 

3回目。

内診時に指に触れれるぐらいには下がってきているとのことだった。

自身でも腹部の張りに加えて、圧迫感が強まっていたのは感じていた。

数度いきむがその時にはまだ出てこないでいたので薬剤を投入。

そこからしばらくして何かがどぷんと出る気配がし、ナースコール。

間もなくして痛みらしい痛みもなく、我が子はするんと出てきた。

胎盤も次いで出てきたので、医師たちが子宮内に残留物がないかエコーで確認しながら器具で処置をしていた。

幸い、目立った残留物はなく、わずかながら残っていた血腫などを取って処置自体は終えた。この処置も麻酔のおかげで圧迫感はあったものの痛みはなかった。

点滴で抗生剤と血止めを投与され、しばらく安静にしていたところ我が子がきた。

 

小さいけれど、ちゃんと人だった。

1週間弱、羊水のほとんど無い狭い辛い環境で耐えていた我が子は安らかな表情だった。

抱かしてもらったがとても柔らかく崩れてしまうのではないかと思うほど。

性別は女の子。

口元は私かな、鼻は夫かな、目元はどちらだろうと我が子の顔を眺めながら抱いていた。

指先で恐る恐る我が子に触れた。

ぷっくりとした頬はとても柔らかい。

しっかりとした身体つき。

手は私の指先ほど。

足の大きさは私の親指の第一関節ほど。

当たり前だと思うかもかもしれないが両手足にしっかり爪もあった。

ちゃんと産んであげられたらと悔やまれてならない。

破水後、いつ陣痛がきてもおかしくない中で予定日まで耐えてくれたとても良い子だった。

妊娠してからどたばただったけど確かに幸せで楽しい日々だった。

 

5/8

朝の診察にて術後はひとまず問題なしとのことだった。

昼には退院可能とのことだったのでシャワーを浴び、身支度を整える。

夫に迎えにきてもらい、病院地下にて二人で我が子に最後の対面をした。

昨日のうちに私自身はもう嫌というほど泣いていたのだがやはり涙は溢れた。

夫と二人で我が子を眺め、ここは夫に似てるでしょ、ここは妻に似ているね、などと話しながらしばらく過ごした。

最後に我が子に触れ、おやすみと二人で告げた。

 

 

 

まだやるべきことはあるが、怒涛の1週間は終わった。

 

前期破水においては少なからず起きることではある。

私たち夫婦が世界初とかそういう訳では勿論ないが、私たち夫婦にとっては初だった。

 

今回の件に関しては正直、あとは時間をかけていくしかない。

今すぐに割り切れるものではないし、入院直後に比べれば落ち着いたものの情緒は安定していない。

完全に折り合いがつくのはもっと先だと思う。仕方がない。

 

 

個人の考えによるとは思うが、私たち夫婦は子に障がいという要らぬ業を負わせたくなかった故に今回の選択に至った。

障がいを持ってでも命を優先する人もいるだろう。それを悪いとは思わない。

ただ我が子に本来なら必要ない苦労や心配をかけたくないというのも考えの一つ。

冷たく聞こえるかもしれないが、それでも構わない。

そういう選択もある、とだけ。

 

 

暗い話を長々とここまで読んでくれた人はありがとう。

 

 

 

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人の体験と情緒を商売にする人はいないと思いたいけど、

念のため、こんなことを書かないといけないのが世も末だね。